16年間新体操一筋だった私が、社会に出て「何者でもなくなった」日。自分探しの迷子から抜け出した方法

仕事のこと

学生時代に一つのことに打ち込んできた人ほど

社会にでて「自分は何者なんだろう?」と迷子になっていませんか?

私も16年間打ち込んだ新体操したとき、打ち込めるものが何もなくなって、心にぽっかり穴が空いたみたいでした。

そしてその穴を「仕事」で埋めようとしていました。新体操と同じくらい打ち込める仕事ってなんだろう…とずっと考えてきました。

ですが「一途に打ち込めるもの」はなくても良い今は思っています。

私が、自分探しの迷子から抜け出した方法をお伝えします。

もっとできるはずと自分を追い込んだ時期

新体操以外の世界も知った方がいいという父の勧めもあり、大学卒業後は一般企業に就職しました。

同期の半分くらいは新体操の指導者になり、自分の経験を活かして仕事をしていることが、とてもキラキラして見えました。

私も、

新体操クラブを立ち上げるとか

自分のお店を開くとか

誇れるようなことを成し遂げたいと思っていました。

自分はこんなとこでとどまっている人間じゃないんだ、と転職を繰り返す時期が続きました。

自分の価値=給与じゃないと気づいた出来事

3度目の転職。

手取り月給は22万から16万になる。

さすがにもったいないんじゃないか。

悩んだ末、内定辞退の連絡をした私に、

会社のオーナーは、もう一度うちで働く選択肢を残しておいてもらえないか、と言ってくれました。

こんな風に言ってくれる会社は他にないと思い入社を決めました。

オーナーは入社後も変わらずいつも気にかけてくれて、温かいスタッフに囲まれて働く日々はとても楽しく、入社して良かったと心から感じています。

もちろん待遇については満足していないけれど、今の職場は、お金には代えられない大切な居場所になりました。

自分の価値はお金で決まるものじゃないと強く思えました。

一途に打ち込めるものがなくてもいい

会社で、落ち着いて周りを見渡してみると、

仕事にバリバリ打ち込む人ばかりではないことに気がつきました。

奥さんや子どもと過ごすために早く帰る人。

休日に趣味を楽しむ人。

みんな家に帰ればそれぞれの暮らしがある。

仕事はあくまでお金を稼ぐ手段であることに気がつきました。

こんなもんでいいって思えるようになりました。

なんでもない日常にこそ幸せがある

打ち込めることがある=立派 とは限りません。

大きな目標がなくても、何かを成し遂げなくても大丈夫。

カフェでぼーっとしながらコーヒーを飲んだり、心がときめくお菓子を作ってみたり、

電車に揺られながら大好きな音楽を聴いたり。

そういう何気ない日常にこそ幸せがあるんだ。

別に「何者にもならなくていい」のだと。

それに気づけたとき、ふっと心が軽くなりました。

打ち込めることがある人生も素敵だけど、小さな幸せを積み重ねられる人生もきっと素敵。

これを読んでくれたあなたに少しでも参考になれていたら嬉しいです。

それでは、今日も笑顔で、良い1日を。